今日の動画

輪島さんの“相撲界復帰”に奔走した北の湖前理事長 「右のおっつけの方が強烈だった。だからこそ左が生きた」 追悼秘話

★追悼秘話  大相撲の元横綱、輪島大士(本名・博=ひろし)氏が8日午後8時、下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱で都内の自宅で死去したことがわかった。70歳。石川県出身。葬儀・告別式は未定だが、喪主は妻の留美(るみ)さん。  日大で2年連続学生横綱になり、1970年初場所で幕下付け出しデビュー。73年夏場所後、わずか21場所で横綱に昇進した。学生相撲出身、本名をしこ名にして最高位に就いた唯一の力士で、史上7位の14度の幕内優勝を果たした。  私生活は派手で、高級外車に乗り、地方場所では宿舎でなく高級ホテルに宿泊。各界の著名人との交友関係が幅広かった。名前を聞けば誰もが驚く大人気女優やスポーツ選手と交際。当時を知る親方が「今だったら週刊誌にパシャパシャ撮られて大変だろうね」と振り返るほどだ。  2015年11月に死去した6歳下の第55代横綱、北の湖前理事長と「輪湖(りんこ)時代」を築き、相撲人気を牽引。「黄金の左」と称された左下手投げが得意だったが、北の湖前理事長は生前「“輪島さんは左”といわれるけど、あれは違う。右のおっつけの方が強烈だった。だからこそ左が生きた。警戒するのは右の方だった」と振り返っていた。  輪島氏は1981年春場所限りで引退し、花籠親方となって部屋を継いだが、年寄名跡を借金の担保に入れたことが発覚し85年12月に廃業。プロレスラーに転向したが、日本相撲協会はこれを機に全日本プロレスへの両国国技館貸し出しを禁止するなど、スキャンダルで追放された輪島氏への対応は厳しかった。  この日も協会広報部は「テレビで見ただけで、(輪島氏側から)何の連絡も入っていないし、連絡先もわからない」。協会としてコメントを出すこともなかった。  それでも、ライバルだった北の湖前理事長は輪島氏に毎場所番付表を送り続け、「何とか輪島さんを、自由に国技館に出入りできるようにしたいんだけど、なかなか難しい」と語っていた。  2009年初場所では、NHKのゲスト解説という形で輪島氏の“国技館復帰”が実現。14年秋場所前には、遠縁にあたる輝がいる高田川部屋で行われた二所ノ関一門連合稽古に姿をみせた。  13年に咽頭がんの手術を受け発声が困難となっていたが、晩年に大相撲との関わりが持てたことはせめてもの救いだったかもしれない。(塚沢健太郎)